Iさん(20代 女性/X染色体連鎖性低リン血症性くる病・骨軟化症)

FGF23関連低リン血症性くる病・骨軟化症と診断された患者さんの体験談です。実際の症状や経過には個人差があります。
気になる症状がある方は医師にご相談ください。また必ずしも同じ症状がFGF23関連低リン血症性くる病・骨軟化症と診断されるとは限りません。

Iさん(20代 女性/X染色体連鎖性低リン血症性くる病・骨軟化症)

Iさん(20代 女性/X染色体連鎖性低リン血症性くる病・骨軟化症)

職業:学生
家族構成:父、母、兄2人

母がいたから病気と向き合えるように
「歩き方などに少しでも違和感があれば、臆せず病院へ」

診断と治療の流れ

1歳の頃、骨の病気と診断され治療を開始

足の弯曲を治すため、装具をつけての生活となる

歩き始めた頃、肩を揺らすほど大きく左右に揺れながら歩いたり、転ぶ回数も多かったりと、他の兄弟と違う歩き方に母が違和感を持ったようです。祖母や父など周囲に「歩き方が気になる」と相談するものの「女の子だからじゃないか?」とあまり気にしない様子だったそうです。しかし、それでも母はやはり何かおかしいと違和感がずっと拭えなかったとのことです。

近所の整形外科の先生に「娘の歩き方に違和感がある」と診てもらい、色々な検査をした結果、骨の病気と診断されたそうです。当時は両足の間にサッカーボールが入るくらい足の骨が弯曲していたらしく、骨をまっすぐに戻すため、1歳くらいの時に、膝上ぐらいまでの装具をつけることになりました。

幼稚園の頃、病院に通い、装具を調整したりしていたことは覚えています。親や整形外科の先生から特に説明はありませんでしたが、自分の足が何かしらの病気であるということは理解していました。けれど、足の弯曲以外には、特に痛みや疲れやすさのような自覚症状も無く、その頃はあまり重く捉えてはいなかったと思います。装具をつけていたので、もちろん動きにくかったのですが、私自身負けず嫌いな性格ということもあり、みんなと同じように遊んだりしていました。ただ、幼稚園で他の子に装具のことを「変なの履いている」などとからかわれたりすることもあり、嫌でしたが、何も言い返すこともできず我慢することもあって…。そんな様子を見た母は「嫌なことを言われたら、言い返していいんだよ」などと励ましてくれていたそうです。

point

  • 兄2人と歩き方が異なり、転ぶことも多かったため、母が違和感を持つ。
  • 近所の整形外科で、足の骨の病気と診断され、装具をつけた生活に。

小学1~2年生の頃、正確な診断を受ける

別の施設の受診がきっかけとなり、子ども病院での正確な診断につながる

近所の整形外科でずっと診てもらっていたのですが、小学校に入学するくらいに「もう大丈夫でしょう」などと言われ、治療が終了となりました。母は突然のことで驚き、まだ私の足は弯曲していたので不安を感じ、他の医療機関に行こうと思ったそうです。ちょうどその頃、2番目の兄が手を怪我して、近所のスポーツ整形外科に通っていたので、兄の受診時に、ついでに私も診てもらうことにしました。

スポーツ整形外科には、子ども病院の先生もいらっしゃっていて、その先生にも診てもらったら「遺伝性の病気の可能性もあるので、大きい病院で診てもらった方が良い」とのことで、子ども病院への紹介状を頂き受診しました。子ども病院では、整形外科や代謝内科でレントゲン、血液検査、尿検査などの検査を行い、その結果、「家族性のくる病の可能性が高い」ことが分かりました。病名を聞いた時は小学1~2年生くらいだったので、インターネットで調べるなどの発想がなく、「くる病」がどんな病気で、これからどう進行していくのか、どんな治療をするのかなど、幼いながらに不安を感じたのは覚えています。

確定診断するため検査入院をすることになり、小学1年生の夏休みを利用して1週間入院をしました。検査の内容を正確に覚えていないのですが、毎日の血液検査や尿検査などで、通院時にもしてもらっている検査とそんなに変わりがなかったと思います。検査入院していた時は、できるだけ両親や誰かしらに付き添ってもらっていたのですが、やはり寝る時は寂しかったです。

検査入院と同時期に父、母など、私の家族も血液検査などして、父と私が「家族性低リン血症性くる病」と診断されました。父も確かに足が弯曲していたのですが、ほかに自覚症状が無く足にも膝にも痛みがなかったため、いまだに治療はしていません。

point

  • 近所の整形外科での治療が終了となるものの、母が不安を感じ、兄弟が通院していたスポーツ整形外科へ。
  • 子ども病院の整形外科と代謝内科で検査してもらい、父も一緒に「家族性低リン血症性くる病」と診断される。

小学校低学年の頃、くる病の治療を開始

服薬の治療を選択するものの、飲み忘れることも

確定診断を受けてから、「くる病」の治療を本格的に開始しました。

検査入院をする前も、確定診断を受けた後も、先生方から病気や、今後の治療についてなど丁寧に説明して頂きました。治療を始めるにあたり、整形外科の先生から「このまま装具をつけて治療することもできるし、服薬をする治療にも変えられるけど、どうしたい?」と聞かれた際、装具の金属が擦れて、皮膚が傷ついたり痛かったりしたし、装具のことでからかわれたりもしたので、絶対に服薬がいいと選択したことを覚えています。母は「相談にはいくらでも乗るけど、あなたのことだから自分自身で決めた方がいいと思うよ」と私に決断を委ね、服薬で治療をすることを尊重してくれました。

通院は月1回、学校を休んで通っていました。小学校低学年の頃は、母と一緒にいられる時間が嬉しくて、通院も楽しかったのですが、高学年になってくると、友達と遊びたいし好きな教科も出てきたので、学校に行きたいな、という気持ちは強くなりました。高学年の頃は症状も無く、足の弯曲も目立たなくなってきていたので、「どこが悪くてそんなに大きい病院に行くの?」と友達には不思議がられていました。自分なりに友達に説明するものの、私自身も自覚症状が特にないのに何で服薬しているのだろうと思うことはありました。もちろん病気のことは理解しているのですが…。薬の管理や準備については母がしてくれたのですが、1日に4回、服薬しないといけなくて、学校にいる時とかは、やはり服薬を忘れてしまうことが多かったですね。

子ども病院の主治医の先生は、小学生の頃から今に至るまで数回、変わっているのですが、毎回引き継ぎがしっかりされていて、どの先生も私の良き理解者だと信頼しています。病気の説明などはもちろん丁寧にしてくれて、それ以外に、低学年から骨の形成には良くないと言われつつもサッカーを始めたことを理解してくれていて、サッカーのことも「楽しい?」などと聞いてくれます。また、他愛もない話とかしながらリラックスして話ができるような状況を作ってくれるので、私の性格や状況をよく分かってくれているなと思います。

point

  • 装具による治療ではなく、服薬による治療を選択。丁寧な説明や対応などで、子ども病院の先生方を信頼している。
  • 医師の理解もありサッカーを始めたり、好きな教科もできたりして、学校生活が充実する。
  • 小学校高学年の頃、症状もなく、足の弯曲も目立たなくなったため、周囲から子ども病院への通院を不思議がられる。

中学生の頃、薬を変更し治療を継続

薬を変更するものの、やはり飲み忘れてしまうことも

中学生の頃、同じような病気を経験している人はいないのかな?と気になり、携帯電話を使ってインターネットで調べてみたのですが、当時は欲しい情報はヒットせず、そこまで深く調べることもしませんでした。先生たちが、とても丁寧に、私が理解できるような言葉で説明してくれていたので、そこまでは必要性を感じなかったというのもあります。

ちょうどこの頃、薬が変更になったのですが、やはり1日4回、服薬する必要がありました。学校にいる時に、服薬しないこともあったのですが、母に見つかると「何のために病院に通っているの!」などとすごい剣幕で怒られていました。薬は、お弁当がある時はお弁当箱に一緒に入っていたりしたのですが、小学生よりも中学生の方が友達の目が気になることもあったり、他のことに気を取られて忘れたりすることが多かったと思います。

point

  • インターネットで自分と同じ病気の人がいないか調べるものの、当時はあまり情報がなく、探すのを諦める。
  • 中学生の頃、薬を変更するものの、小学生の頃と服薬の負担は減らず、引き続き母に準備や管理をしてもらう。

これからのこと

母がいたから
病気に向き合えています

今、私が病気に向き合えているのは、やはり母の存在が大きいです。時には小言もあるのですが、幼い頃から私に寄り添ってくれたので、悲観的にならず病気と付き合っていけるのだと思います。子ども病院の先生方も、私に理解できるように噛み砕いて説明してくれたりして、病気について正しく理解できる環境であることも大きいと思います。ただ、今はまだ子ども病院で診てもらえるのですが、いつまで診てもらえるのかというのは、少し心配しています。

最近、子ども病院の代謝内科の先生からの提案で薬を変更し、今は自分で薬の準備や管理をしています。ただ、薬による治療をいつまで続けるのかとか、長期間続けていると副作用が出てきそうで怖いなど、治療についても不安はあります。代謝内科の先生にそのことを相談したら、「一度休薬して、痛みが出てきたら、再開することもできるよ」などとは言われていますが、今のところ薬は続けています…。実際に休薬して、年齢が上がるにつれて、膝などが痛み出して、再開された方もいるらしいです。

インターネットで調べた時に、同じ病気の患者さん自身の話が全然なかったので、どのような治療をされているのかとかが分かる機会があるといいなと思い、私もお話しすることをお引き受けしました。私の体験談を、参考にして頂けると嬉しいです。

私と同じような症状があるお子さんがいるご両親には、少しでも違和感があれば、気のせいだと思わずに勇気を出して病院へお子さんを連れて行くことが大切だと伝えたいです。もちろん、ご自身で違和感がある方もです。私自身、母が気付いてくれて奔走してくれたので、今、良い先生のもと、治療ができていると実感しています。

この記事の監修ドクター

伊東 伸朗 先生

伊東 伸朗先生

  • 東京大学医学部大学院医学系研究科 難治性骨疾患治療開発講座 特任准教授(研究室HP)
  • 東京大学医学部附属病院 骨粗鬆症センター 副センター長

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