Eさん(50代 女性/腫瘍性骨軟化症)

FGF23関連低リン血症性くる病・骨軟化症と診断された患者さんの体験談です。実際の症状や経過には個人差があります。
気になる症状がある方は医師にご相談ください。また必ずしも同じ症状がFGF23関連低リン血症性くる病・骨軟化症と診断されるとは限りません。

Eさん(50代 女性/腫瘍性骨軟化症)

Eさん(50代 女性/腫瘍性骨軟化症)

職業:パート社員(事務)
現在同居の家族:夫、子ども1人(娘1人)

診断がつかずに悩まれている方が、
少しでも早く治療につながれば

診断と治療の流れ

胸が痛み、呼吸器内科を受診

胸に筋肉痛のような痛みが継続するも、2年間は放置

40代前半の頃、胸が筋肉痛のように痛むようになりました。そこで、呼吸器内科を受診したら、「線維筋痛症かな」と先生がおっしゃり、大学病院への紹介状を書いてもらいました。線維筋痛症をインターネットなどで調べると自分の症状とは違うように感じたので、運動したから筋肉痛かもしれないとも思い、その時は通常の生活にそんなに支障はなかったので、紹介された大学病院へは行きませんでした。

胸の中心部に、筋肉痛のような微妙な痛みが常にあったのですが、その後2年間くらいは運動もでき、生活で支障もなかったため、もう一度受診することはありませんでした。

point

  • 40代前半の頃、胸の痛みで呼吸器内科を受診。
  • 「線維筋痛症」の可能性を疑われたが、自分では違うように感じ、日常生活に支障もないため2年間、放置。

発症から2年後、症状が悪化し大学病院へ

大学病院を受診するも原因は分からず、リハビリテーションをすることに

最初に胸の痛みを感じてから2年経っても痛みが継続することや、足など他の部分も痛くなってきたことなどがあり、やはり何かおかしいと不安に思い、以前に呼吸器内科で紹介された大学病院を受診しました。その時は、呼吸器内科の先生に頂いた紹介状の期限が切れてしまっていたので、大学病院には紹介状がない状態で行きました。

大学病院を受診した頃は、すでに日常生活で不都合が生じてきていて、かがむ動作や顔を洗う動作など上下の動作がすごくつらかったのを覚えています。ただ、紹介状がなかったからか、特に検査をすることはなく原因も分からないまま、リハビリテーションをするために、近所の比較的大きい病院の整形外科を紹介されました。

point

  • 胸の痛みが継続することや、他の部分も痛くなり、大学病院を受診。
  • 日常生活に支障が出てきていたが原因は分からず、リハビリテーションをするために近所の整形外科を紹介された。

整形外科でリハビリを開始するも悪化

リハビリテーションで良くはならず、呼吸器内科を再受診することに

紹介された病院の整形外科でリハビリテーションを開始したのですが、全く良くならず、痛みがだんだん強くなるので、やはり何かおかしいと思いました。どうにかしたくて、近所の接骨院や婦人科なども受診しましたが、原因が何か分かりませんでした。そこで、最初に受診した呼吸器内科を改めて受診して、大学病院へ紹介状を書いてもらおうと思いました。

呼吸器内科を再受診した際、血液検査をしてもらったら、アルカリホスファターゼ(ALP)が700台と高い値でした。呼吸器内科の先生も「数値が正常範囲じゃないね」とおっしゃって、改めて大学病院へ紹介状を書いてもらいました。

point

  • 整形外科でリハビリテーションを開始するも、痛みはだんだん強くなるばかり。
  • 接骨院や婦人科なども受診するも痛みの原因は分からず、最初に受診した呼吸器内科へ。
  • 血液検査でALPが700台と高値のため、大学病院への紹介状をもらう。

発症から4年後、腫瘍性骨軟化症と診断

様々な検査をして、左の股関節に腫瘍が見つかる

紹介状を持って、再度、大学病院を受診しました。整形外科の先生に様々な検査をしてもらったら、線維芽細胞増殖因子23(FGF23)の値が高かったので、腫瘍性の骨軟化症が疑われるとのことでした。そこで、がん専門病院を紹介してもらい受診したら、「専門の先生がいる病院の方が良い」とのことで、現在、通っている大学病院を紹介されました。最初の大学病院の整形外科で様々な検査をしていたからか、現在、通っている大学病院を受診した時には、速やかに腫瘍性骨軟化症と診断されました。

「命にかかわる病気だったらどうしよう」などと怖かったので、腫瘍性骨軟化症について、自分自身ではインターネットなどであまり調べませんでした。代わりに、家族が色々調べてくれたところ、やはり自分に当てはまる症状が多かったのを覚えています。ただ、病気について知ったところでなるようにしかならないし、知ることにより気が滅入るのも嫌だったので、極力、深入りせず、現在の主治医の先生に任せようと思っていました。

現在、通っている大学病院では、腫瘍がある場所を見つける検査を中心にしました。ただ、CTについては、以前に副反応で蕁麻疹が出たため、副反応が出にくい検査ができるという、少し離れた地域の病院へ画像を撮りに行きました。その検査により、私の腫瘍の場所は左の股関節のところと目星が付けられ、その後、大学病院で全身静脈サンプリング検査を行いました。身体の22カ所ぐらいから血液が採取されて、FGF23の値が高い箇所から腫瘍の場所が特定されました。

point

  • 大学病院の整形外科で様々な検査をしたら、FGF23が高値だった。
  • 怖かったので、自分では病気についてあまり調べなかったけれど、自分に当てはまる症状が多かった。
  • 腫瘍性骨軟化症と診断され、腫瘍の場所を見つけるための検査を実施。

発症から5年後、治療を開始

薬物療法で治療を開始、徐々に症状が緩和

治療が始まったのは胸が痛みだしてから5年経ったくらい、診断された次の年からだったと思います。腫瘍のある場所が股関節で、手術による処置が難しいところだったので、主治医の先生と相談してリン酸製剤や活性型ビタミンD製剤などの経口薬による薬物療法を選択しました。

治療を始める頃は痛みがひどくて、杖をついて生活していました。電車などは怖くて乗れず、極力、階段も避けてエレベーターを使用していました。頑張れば階段の上り下りはできましたが、痛みなどもあるので避けていました。症状が一番、重たかった頃は、少し歩くと疲れ、痛みもひどく感じるため、1kmくらい歩けるかどうかという感じでした。症状が重たかった頃は、友人たちと会うのは控えたり、車で通勤し電車には乗らないようにしたり、食事などの家事は夫にしてもらっていました。ただ、幸いに仕事は事務職だったので、休むことは増えたものの続けることができました。

治療を開始して、症状が顕著に変わったという記憶はなくて、徐々にという感じでした。まだ杖をついて病院に通っていた時に、主治医の先生に「治療を始めたのに痛みが変わらない」と一度、訴えたことがありました。その時は、薬の量を増やすと腎臓に負担がかかるため、痛みが取れないからといって、薬の量を大幅に増やすということは難しかったようです。それでも薬の量を少し増やして治療を続けていたら、徐々に良くなっていったと記憶しています。その後、主治医の先生からの提案で治療薬を変更し、現在もその薬で治療を継続しています。

point

  • 外科的治療が難しい場所に腫瘍があったため、薬物療法による治療を選択。
  • 治療を始めた頃は痛くて、杖をついて生活していたが、徐々に症状が緩和した。

これからのこと

痛みは、なかなかゼロにはならないけれど
前向きに治療を続けていきたい

診断がつくまでは、なかなか原因が分からず痛みもだんだんひどくなり、大変でした。しかし、やっと主治医の先生のもとに辿り着くことができ、「すべてお任せすることができる」と安堵しました。また、主治医の先生に「腫瘍性骨軟化症は、ほぼ良性だ」と言われていたので、腫瘍を生検して調べるようなことはせず、楽天的に過ごしていたことも良かったのかもしれません。発症から10年以上経っていますが、随時MRIなどの検査を受け、その間に腫瘍が大きくなったということもなく、薬物療法で症状も改善し、日常生活に支障がなくなってきています。やはり痛みはなかなかゼロになることはないのですが、これからも主治医の先生を信頼して、治療していければと思っています。

腫瘍性骨軟化症で、私のように外科的に除去しない場合は、薬物療法を続けていかなければなりません。より負担が少なく、治療を続けられる方法ができることを願っています。

症状がつらくて大変な方や薬物療法を続けていくのが大変な方もいらっしゃると思いますが、治療を続ければ良くなるかもしれません。頑張って治療を続けていただければと思います。

この記事の監修ドクター

今西 康雄先生

今西 康雄先生

  • 大阪公立大学大学院医学研究科
  • 代謝内分泌病態内科学 准教授

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